博多湾を愛する筆者の生い立ちと忘備録

博多湾

私自身は、今は福岡市東区になっていますが、以前は糟屋郡だった志賀島の手前にある大岳という場所で生まれ育ちました。

幼いころから祖父母に育てられ、海辺で遊んだ記憶が今でもあります。

現在の大岳の景色とは、かなり違っていましたが、所々に私が幼かったころからある構造物の記憶があります。

大岳海岸に行くと、同じ年頃の一緒に遊んだ連中の顔がおぼろげに蘇ります。

忘備録としての釣り場案内

大岳海岸のこちらの短い堤防は、私が10歳ぐらいの頃に、良く水中眼鏡をかけて素潜りしていた記憶があります。

大岳には、私が幼少期から小学校4年生になるぐらいまで、大きな池が3つあり、そこには雷魚に似た台湾ドジョウがたくさんいて、トノサマガエルはもちろん、ウシガエルやツチガエル・・といった生き物がたくさんいましたし、珍しいトンボの宝庫だったような気も致します。

ハッチョウトンボギンヤンマを良く採りました。

おかげで、自然科学が好きな子供になりました。

今はゴルフ場になっていますが、私の祖父母の家は、今現在のゴルフ場の中にあったのです。

すぐ近くには志賀中学校があり、私の母や叔父さん、叔母さんらはみんな志賀中学校を卒業しました。

いま改めて眺めると、レトロ感漂う校舎ですね。

当時、志賀中学校の横には海に通じる大きな道があり、砂地で松の木が点在していました。

松の木の根元で、アリジゴクを良く採って遊んでいましたし、ウバタマムシなども良く採っていました。

松ぼっくりを集めては、ぶつけやいこをして遊んでた記憶があります。おもちゃなど、あまりありませんでしたからね。

祖父母の家のトイレはで、外にあり、夜には電気も何もなくて、用を足すのが恐ろしかったことが今でも記憶の片隅に残っています。

祖母と近くの松林で、松露(しょうろ)と言うキノコを良く採りました。

実は、松露というキノコは、現在ではとても貴重なキノコで、和製トリュフとも呼ばれ、私と同世代の方でも松露を食べたことがあるという方とお会いしたこともないですし、存在自体を知らない方がほとんどです。

今から30年ほど前に、赤坂の八百屋でイチゴパックに松露が入って1パック25,000円という値段に驚いた記憶があります。

子供の味覚では、あまり美味しいとは思えませんでしたが、毎日のように松露を採って食べていたと言うより食べさせられていた様な気がします。

祖母は、みそ汁や炒め物にも使っていましたから…。

松露の食べ過ぎは、関係ないのかもしれませんが、頭脳明晰な子供とは程遠い存在でした。 ^^;

洟を垂れて、口をアパンと開けていて、爺ちゃんから「バカに見えるけん、口ば閉じとけ!!」と、よく言われていました。

祖父とは大岳海岸に行き、アサリマテ貝バカ貝をたくさん採ったものです。

当時の大岳海岸には、カブトガニが普通にたくさんいたんですよ~!

その当時は西戸崎炭鉱の長屋があり、そこに住んでいる同じくらいの年齢の男の子と一緒になって遊んだものです。

1日中遊んで、夕方から大きな炭鉱風呂にみんなで入りに行ったものです。

今思えば、お菓子やおもちゃはもちろん、お小遣いもなかったけれど、楽しかった記憶があります。

私が釣りが好きになった原点が大岳海岸にある!

私より数歳年上の兄ちゃん達に連れられて、大岳海岸でゴカイや巣ムシを良く採っていました。

巣ムシと言うのは学名「フクロイソメ」のことで、貝殻や海草などで、細長い巣を作り砂の中にいるムシのことです。

今現在では関東ではクロダイ釣りの特効薬のようにされている貴重なエサなのですが、これをスコップで掘って採り、キスやハゼやカレイなどを釣っていました。

投げ釣りの竿やリールがないので、竹竿で腰まで海に浸かって釣っていたんです。

毎日・・・、毎日・・・・。

小学校に上がる前のことで、ほとんどが幼稚園にも行かずに、海岸端や松林で遊んでいました。

私もそうでしたが、裕福な家庭の子ではなかったのです。

海の中道の海浜公園には米軍基地があったのです!

西戸崎に行くと、今でも異国情緒漂うお店がありますが、昔は海の中道海浜公園のところに米軍基地があったのです。

私の祖母が、ある時米軍基地の方から頂いた、ケーキの素でケーキなるもの?を作ってくれたのですが、クロっぽいお好み焼きのようなもので、子供心に美味しいと思いませんでした。

ケーキの素をに水を混ぜて、フライパンで裏表焼いただけのものですから・・・。

ケーキの素の箱には、美味しそうなチョコレートケーキの写真が描かれていましたが、すべて英語表記で何が書かれてあるのかはまるで分かりませんでした。

ケーキを作ってくれた祖母は、「勉強して、これがスラスラ読めて分かるようになるとよかね~!」と笑っていた記憶があります。

博多湾にも、かっては精霊流しの風習があったのです!

今ではその風習もなくなったのが、博多湾での精霊流しです。

お盆になると、50センチから1メートル50センチぐらいの木製の船に落雁や果物を乗せて、灯りをつけて博多湾に流していたんです。

いつの頃からか、博多湾が汚れるとのことで、この風習はなくなりました。

夜に祖父に連れられて精霊流しを見に行った時に、博多湾の対岸に明々と夜でも明るい光が灯る街並みが目に焼き付いています。

じいちゃん、アソコ・・どこね~??」と言うと、「あっこは博多バイ!!」とのことでした。

60年前に大岳海岸から見た当時の博多の夜景は、今でも忘れられません。

海辺で育ったせいで、小学校に上がる前から釣りを楽しんでいました。

祖父母が喜んでくれたので、バフンウニもよく採ったし、ワタリガニも良く刺しました。

遊びと言えば、それぐらいしかなかったのです。

魚が全く釣れない!?と言われる博多湾

ある日箱崎埠頭の旧貯木場で出会った青年は、昨年まで四国の●●県に住んでいたと言います。

いや~、博多湾は全然魚がいませんねぇ~!!」と言うのです。

彼が言うには、四国の●●県では、近くの防波堤の足元でも、アジの30センチやメバルの30センチぐらいは、いくらでも簡単に釣れていたとのこと。

恐らく本当のことだと思います。

それほど場荒れしていない場所なのだと思います。

ですが、昨今の博多湾は福岡市とその周辺人口を併せると、とんでもない人口です。

そこから連日海釣りの好きな方が入れ替わり立ち代わり来るのですから、足元でアジやメバルの30センチが釣れるなど・・・夢のようなお話です。  ^^;

でも、釣り場ごとの特徴やいる魚と釣り方・エサや仕掛けや道具次第では、まだまだ魚は釣れるものです。

博多湾も捨てたもんじゃない!!と言う気がしてなりません。

幼い頃から博多湾で遊んで、釣りをし続けてきた我が身としては、何としても博多湾の面目躍如をしたい!!との思いでこのサイトを作ろうと思った次第です。

特に、県外から転勤されてきた来て、どこに釣りに行ったら良いか分らないだとか、ある魚を釣る仕掛けやタックルやエサも分らないと言う方にこそ参考にしていただきたいとの思いがあります。

食べものが美味しい!だとか、元気な都市!!だとか、よそ者でも温かく向かいれる博多の人の気性も良いかもしれませんが、福岡市に住むんだったら、博多湾で是非一度竿を出して欲しい!!との気持ちがあります。

リトル東京だとか、経済的に元気が良い地方の中核都市・・などとのイメージだけではないことも知っていただきたいのです。

人口が増加している今となっても、簡単に釣れる魚もいれば、なかなか手強い魚もいます。

どちらも経験していただきたいのです。

どんたくや博多山笠や放生会ばかりが博多のイメージでもありません。

中洲や屋台だけが博多のイメージの方もいるようです。

中心地からすぐ近くでチヌやスズキ、コウイカやキス・・・などとと対峙できると言うのも、福岡市の大きな魅力の一つではないでしょうか?

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